仕事のおとも
ELFFAN WEB vol.06
視界をクリアに!メガネの進化

何世紀にも渡って改良が重ねられ現在の姿に
メガネは視力を補う重要なアイテム。それだけに運転中はもちろん、起きてから寝るまで手放せない方は多いと思います。そんな生活の相棒「メガネ」はいったいどのように誕生したのでしょうか。
大きくはレンズとフレームに分かれるメガネですが、レンズ自体はすでに紀元前3世紀頃にありました。その時代のレンズは太陽の光を集めて火を起こすためのものだったようです。
視力を補う目的としてレンズが使われるようになったのは10世紀頃で、13世紀になるとヨーロッパの僧院ではレンズをルーペのように使っていたといわれています。
14世紀になると、イタリアのベネチアでレンズ用のガラスが製造されるようになります。ベネチアでレンズ作りが盛んになったのは、透明度の高いガラスである「ベネチアンガラス」を作る技術があったからだといわれています。

初期のメガネは手に持つか鼻の上に乗せて使用していたため、長時間使うのは不便だったそうです。
15世紀半ばになると活版印刷が発明され聖書が普及し、聖書をはじめ一般の人が読書をするようになったことでメガネを求める人が急増。その頃から本格的なメガネの生産がはじまり、ヨーロッパ各地に広まったと考えられています。
フランシスコ・ザビエルが伝えた!?
日本にメガネを伝えたのは、キリスト教を布教したことでも知られるフランシスコ・ザビエルといわれています。1549年に来日した際、周防(山口県)の大名であった大内義隆にプレゼントしたことがはじまりです。またその数年後、織田信長はフランシスコ・ガブラルという宣教師の近視用メガネを見て驚いたと伝えられています。

1730年頃、ロンドンのメガネ店で耳にかけるメガネの原型が発明されました。しっかり耳に固定できる現在のようなカタチのメガネは1800年頃に登場したといわれています。また、メガネは男性のものというイメージが強かったものの、柄付きメガネや折りたたみメガネなど、デザイン性の高いメガネが現れたことで女性の間でも広まっていきました。
鯖江がメガネの一大生産地になった理由とは

国内でメガネの本格生産がはじまったのは、明治時代に入ってからです。朝倉松五郎という人物がウィーンで開かれた万国博覧会でレンズの研磨技術を学び、日本に持ち帰ったことでメガネづくりが盛んになりました。
今や世界最高峰の技術力・開発力・品質力を誇るのが「鯖江のめがね」です。
鯖江市は冬の間は雪深く、経済的に苦しい生活を強いられていました。そこで増永五左衛門と弟の幸八は、冬の農閑期でも収入が得られるよう1905年に大阪からメガネ職人を招いてメガネづくりを開始したのです。

優れた人材の採用や職人たちの熱意を引き上げた「帳場制」という画期的な製造体制の導入により、福井のメガネの品質は飛躍的な向上を遂げました。いまや国内で流通しているメガネフレームの9割以上、世界では約2割が鯖江で生産されており、イタリアのベッルーノ、中国の深圳と並び「世界三大メガネ産地」と称されています。「国産のメガネの祖」と呼ばれる増永五左衛門が創業した「MASUNAGA」は老舗メガネブランドとして業界を牽引しています。
また、鯖江では近年も新しいメガネブランドが生まれており、1989年には高級ラインの「MATSUDA」が、1995年にはデザイン性と機能性を両立した「999.9(フォーナインズ)」が誕生。さらに2010年には、鯖江でメガネづくりを学んだ職人が「ayame」を立ち上げ、おしゃれなメガネブランドとして注目を浴びています。

運転にはクリアな視界が欠かせません。視力を補う必要のある方にとって、メガネは欠かせない体の一部といえます。これからも相棒であるメガネと快適に過ごせるよう、レンズの度数やフィッティングなどを改めてチェックしてみてはいかがでしょうか。


























